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最高裁判所第三小法廷 昭和62年(行ツ)145号 判決

神戸市東灘区本山中町四丁目五番一五号

上告人

深尾照夫

右訴訟代理人弁護士

川村俊雄

木村保男

的場悠紀

大槻守

松森彬

中井康之

福田健次

被上告人

右代表者法務大臣

高辻正己

右指定代理人

星野英敏

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五九年(行コ)第二三号差押処分取消請求事件について、同裁判所が昭和六二年九月二九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人川村俊雄の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、独自の見解に立ち若しくは原判決を正解しないでこれを非難するか、又は原判決の結論に影響を及ぼさない点をとらえてその違法を主張するものであって、いずれも採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己)

(昭和六二年(行ツ)第一四五号 上告人 深尾照夫)

上告代理人川村俊雄の上告理由

一 本上告の趣意

上告人は、以前東京証券取引所および大阪証券取引所の第一部に上場されていた永大産業株式会社(以下、単に「永大産業」という)および永大木材工業株式会社(以下、単に「永大木材工業」という)外の関連各社の創業者であった訴外亡深尾茂(以下、単に「亡茂」という)の相続人(死後認知を受けた者を含め五名)の一人(養子)で、いずれ名実ともに右各社の経営を引き継ぐべき立場にあったところ、亡茂はいわゆる第一次オイルショック(昭和四八年九月)の直前にあたる昭和四八月二日に急逝した。

亡茂は、右相続開始当時においても右各社を支配するに足る株式を保有していたばかりではなく、わが国における事業経営者、とりわけ創業者の通例の如く資産の大半を右各社の事業に注ぎ込んでおり、また上告人は前述のとおり同事業の経営を引き継ぐべき立場にあったところから、上告人が相続により取得した資産の大半(九一%強)は、前記各社の株式(永大産業 二〇四万余株、永大木材工業 九〇〇万株など)で、相続税基本通達によるその評価額は二五億三、四五〇万円余に達していた。

ところが、それから間もなく発生したいわゆる(第一次)オイルショックに端を発したわが国経済の長期にわたる未曾有の大不況の結果、永大産業は昭和五三年の二月に会社更生の申立をして事実上倒産し、上告人が相続した同社および前記関連各社の株式は、すべてほとんど無価値となり、なかでも株数が多く評価額も高かった永大産業と永大木材工業の株式は、いずれも、更生計画において無償で消却されてしまった。

この結果、上告人は、亡茂の死去により、資産(株式以外の取得資産は、二億四、七七〇万円弱)よりも債務(七億九、九七〇万円余)の方を多く相続したに等しい状況になったにもかかわらず、国税当局からは、一三億八、五二五万円の相続税(後述の連帯納付義務分は含まない)の納付を求められるという、常識ではとうてい考えられないような苦境に追い込まれた。

しかも、国税当局は、昭和五四年八月までに換価可能な相続財産はもちろん、上告人の居宅以外の固有財産も全部公売もしくは処分させて、上告人から本人の相続税分一二億三、一八一万円余のほか、他の相続人の相続税分一三億一、八一四万円余も徴収済であるにもかかわらず、さらに昭和六一年一月には、最後に残った上告人の唯一の資産ともいうべき居宅(もちろん相続により取得した資産ではなく、固有資産である)まで公売してしまった。

かくて、上告人は、相続税のために、相続とは関係のない固有資産まで全部失ってしまい、完全な無資産状態となってしまったわけであるが、このような事態は異例中の異例であり、法の予想していたところではなく、明文の救済規定は見出し難いとしても、だからといってかかる不条理が許されてよいわけはなく、しかも事は人の一生を決定的に左右する程の重大問題であるから、単に法の不備ないしは法の欠缺であるとか、亡茂がたまたまオイルショックの直前に死亡したのが不運であったなどと言ってすませてしまうわけにはゆかない。

換言すれば、かかる場合には、あらゆる法解釈学的努力を通じてあるべき法の姿を発見するのが法の運用に当たる者の責務であり、そのような努力をせず、法の形式的運用に終始した国税当局の措置にはどこかに誤りがあるといわなければならず、これを是認した原審の判断にはとうてい承服できないので、御庁の条理に適ったご審判を仰ぎたく、本上告に及んだ次第である。

二 災害減免法の準用ないし類推適用を否定した原判決の判断と法令解釈の誤り

原判決は、その事実摘示(第二の九2)において、申告の無効が上告人の第一次的な主張であるかのように判示しているが、上告人は、本訴の基本的な原因もしくは遠因は本件各株式の過大評価(申告の無効事由)にあるが、より直接的な原因は相続開始後における株価の崩落、すなわち相続財産の大半の無価値化にあるところから、本件の場合には、すべての問題を株式評価の問題に帰着させてしまうよりは、まず災害減免法(災害被害者に対する租税の減免・徴収猶予等に関する法律)の準用ないしは類推適用などの事後的な救済(是正)の方法・有無を検討する方がより素直で事案に即した解決方法であるとの考えのもとに、申告の無効は他に救済手段がない場合の問題として第三次的な請求原因としているので(上告人の昭和六一年四月三日付訴の変更許可申立書中の請求原因九、一〇、一一項および昭和五九年八月二二日付準備書面一項参照)、本理由書においても、この順序で上告人の主張を述べることにする。

さて、原判決は、上告人の右災害減免法の準用ないし類推適用の主張に対し、永大産業および永大木材工業の株式が、会社更生手続においてすべて無償消却になるなど、上告人が相続した本件各株式はほとんどすべて無価値になってしまったことを正当に認定しながら、主として災害減免「法所定の自然災害では、財産の被害は一般的にいって災害によって直接的に、そして即時に生じるのが通例であって、その因果関係も容易に確認しうるのに対し、本件のように経済事情の変動による株価の下落については、右変動に対する株式発行会社の対応方策によってその程度を軽減させたり、或いは著しい下落が生ずる以前の段階おいて右株式を処分するなどの方法により、被害の回避ないしその軽減の可能性があることは否定できないのであって、自然災害の場合とは異なるところがある」との理由で、「両者を同等にみることは相当でな」く、同法の「準用ないし類推適用は許されないと解すべきである」と判示し、上告人の主張を排斥した。

しかし、災害減免法が災害被害者に対し、租税、殊に相続税の減免をすることにしているのは、いうまでもなく課税の理由・原因となっていた担税力が事後的に失われ、課税を維持することが酷になったことによるものであって、後述の如く火災につき失火が除外されていないことからも窺知されるとおり、担税力が失われるに至った原因如何は左程重要な問題ではない。

そのことは、租税は負担能力、すなわち担税力のある者にその能力に応じて負担してもらうのが本義であること、および相続税の課税範囲ないしは課税標準や税率等を如何に定めるかは基本的には立法政策に委ねられているとしても、相続人が現実に手にした相続財産額(現存利益)を上廻る相続税を徴収することにより、相続制度そのものを事実上否定し、さらには相続とは関係のない固有財産まで奪い取ってしまうのは、税の名の下における財産の没収にほかならず、私有財産制を保障した憲法第二九条の趣旨に反することから考えても当然のことであり、災害減免法が自然災害中心の規定の仕方をしているのは、主として国税通則法や所得税法その他の各税法上の更正の請求制度との重複を避けることを意図した結果にほかならず、担税力が失われるに至った原因を特に自然災害のみに限定する趣旨であったとは思われない。現に、災害減免法の取り扱いに関する昭和二七年七月二八日直所一-一〇の通達一項も、災害の意義を「天災の外、火災等の人為的災害で自己の意思によらないものを含むものとする。したがって、失火を含むが、自己の放火を含まないものとする」と定義し、自己の意思によらない人為的災害を排除するものではないことをあきらかにしている。

また、自然災害以外の原因によるものであっても、担税力が失われたときには課税の見直しをする必要があることは、国税通則法二三条二項、同法施行令六条一項、所得税法一五二条、同法施行令二七四条等が、「その申告、更正又は決定に係る課税標準等又は税額等の計算の基礎となった事実のうちに含まれていた行為の効力に係る官公署の許可その他の処分が取り消されたこと」、「その申告、更正又は決定にかかる課税標準等又は税額等の計算の基礎となった契約が、解除権の行使によって解除され、若しくは当該契約の成立後生じたやむを得ない事情によって解除され、又は取り消されたこと」、「確定申告書を提出し、又は決定を受けた居住者の当該申告書又は決定に係る年分の各種所得の金額(中略)の計算の基礎となった事実のうちに含まれていた無効な行為により生じた経済的成果がその行為の無効であることに起因して失われたこと」などを更正の請求の理由の一つとして挙げていることをみてもあきらかである(より詳細については、上告人の昭和五九年八月二二日付準備書面四、五項参照)。

いいかえると、本件は、更正の請求制度と災害減免法による救済との境界領域に生じている、否より正確に生じているかに見える間隙をいずれの制度を拡充して解決するのがより適切かという問題なのであって、自然災害でなければ救済の必要がないなどという問題では決してない。

したがって、原判決のいう「被害の回避ないしその軽減の可能性」等は、実際にその株式を処分することが可能となった時より後に、少なくとも一旦株価が回復するなどその可能性が現実に存在し、しかも通常人ならば必ず回避等の措置を講じたであろうと認められるにもかかわらず、納税者が敢えてその措置を採ったため、その損失は自ら招いたものと同視しうるような場合ならばともかく、あらゆる社会経済的制約を無視し、ただ単におよそ現実性のない抽象的、論理的可能性があるというだけでは、災害減免法の準用ないしは類推適用を事案の如何にかかわらず全面的に否定する理由とはなりえないというべきである。まして、原判決のいう「株式発行会社の対応方策」云々の説示に至っては、問題の結論とどう結びつくのか、その意味を理解することすらできない。

これをいま少し身近な例をひきながら、具体的に考えてみると、一九二九年の世界大恐慌の発端となった株価の大暴落、あるいはスターリン暴落(昭和二八年)およびニクソンショック(昭和四六年)などの古い例を持ち出すまでもなく、われわれは今昭和六二年一〇月一九日の「暗黒の月曜日」(ブラックマンデー)から始まった株価の大暴落を経験しつつあるが、かかる場合に、株価がさらに下る場合もありうることを思えば、少々の損は覚悟してでも持株は一旦処分しておく方がよいいのかも知れない。だが、資金繰りの必要上どうしても処分をせざるをえない人や逆に売り投機を行なっている人などの場合ならいざ知らず、多くの善良な株主(投資家)は何時の日にか株価が取得価額以上かあるいはそれに近い水準に戻ってくれることを期待して、当座の必要資金は他の手段で賄いながらじっと我慢して時期の到来を待っているものと考えられ、またそれゆえにこそ世界経済は一層の混乱・破局を免れ得ているといってもよいであろう。そして、その株式が株価の崩落が始まる直前の高値の時に相続したものであったとしたら、株式の相続にかかる相続税の取り扱いはどうなるのか、さらには相続税の延納を認めてもらって株価の回復を待っていたら、結局株価は回復しないのみならず、発行会社が倒産して株は無価値になってしまった場合に、それでも相続開始時の高値で評価した額を課税標準にして徴税を強行するのが租税の本質および財産権の保障をした現行憲法第二九条の趣旨、ひいては法の正義公平の観念にかなうのかどうか、これがまさに本件で問われている問題であり、現実には到底ありえない抽象的、論理的可能性、あるいは通常には期待しえない行為選択の可能性を理由に救済を拒否するのはあまりにも酷というものであろう。

まして、本件の場合には、支配株のため手離すわけにはゆかず、また株価が下り気味のときにこれを手離せば内部者取引等として社会的な非難を受ける恐れすらあったばかりではなく(甲第二六号証参照)、共同相続人のなかには母親を異にする兄弟が二人(死後認知者も含めると三人)もいて遺産分割の協議も思うにまかせないという状況のもとにおいて、早期処分などということはおよそありえないことであり、上告人が相続税延納の道を選んだのは至極当然のことであった。

さらに、前記原判決判示の理由が、自然災害と本件とを差別的に取り扱う理由となりえないことは、前述の失火の例のほか次のこととのバランスを考えてみても明白であろう。すなわち、自然災害の場合にも、必ずしも損害が瞬時に発生するとばかりは限らないだけではなく、かりにそれが通例であるとしても、そもそも災害減免法の適用が実際に問題になるのは、納税義務が発生(確定)しているにもかかわらず、何らかの理由で直ちに納税はせず、これを延納もしくは徴収猶予中に災害が発生した場合にほかならないから、災害発生以前における処分の可能性をいうならば、どんな場合にもそれは存したということができるのであり、特に相続税の場合には延納期間が最長一五年とかなり長いことなどをあわせ考えると、結局減免の理由は、課税の根拠とされていた担税力の事後的欠缺に尽き、早期に相続財産を処分して納税をしなかったことの適否ないしはそのことの経済的損得に関する予測の誤り等は減免の可否を左右する事柄ではないことがあきらかである。

以上いずれの見地から見てみても、本件の如き一般人の予想することができない社会経済情勢の急変による大巾かつ異常な株価の下落は、社会通念上災害による被害と何ら異なるところがなく、災害減免法の準用ないしは類推適用が肯認せられて然るべきである(甲第一五号証の一の神戸大学武田隆二教授の鑑定意見書および甲第一六号証の公認会計士・税理士大谷勉の提言書参照)。

なお、原判決は、上告人が災害減免法施行令所定の手続を踏んでいないことをも論難しているが、事の真相は、国税当局が明文の規定がないことを理由に「嘆願」(甲第二五、第二八号証)という形でしか上告人の申出を受理しなかったにすぎないばかりではなく、上告人は必ずしも当然減免を主張しているわけではなく、国税当局には同法所定の減免に準じた何らかの是正措置を講ずる義務があり、それをしないで徴税を強行することは許されない旨を主張している次第であるので付言する(上告人の昭和五九年八月二二日付の準備書面三項参照)。

三 正義公平の観念を理由とする上告人の主張に対する原判決の判断と理由不備もしくは理由齟齬および法令解釈の誤りならびに判例違反

次に、原判決は、上告人の御庁昭和四九年三月八日の判決(民集二八巻二号一八六頁)に示された正義公平の観念を理由とする主張(原判決の事実摘示第二の九4)に対し、前記の如く永大産業および永大木材工業の会社更生手続において「本件各株式の主要な部分が確定的に無価値とな」ったことは認めながら、次の諸点を考慮すると、右のような事態が生じ、上告人が「自らの固有財産を処分するなどの方法により苦慮して納税している事情があるとしても」、被上告人の「徴収金の保持が違法とな・・・るものと解することはできない」という(理由六2)。

(イ) 上告人は、相続開始時に現実に相続税評価額以上の利益を取得していたと認められること。

(ロ) 一般に株価は変動性を有するものであるうえ、永大産業の株式は変動性のある株式であったと認められ、相続開始から前記会社更生申立までの間には約五年の期間があったので、上告人としては、他の相続人との遺産分割協議の成立に努力して本件各株式を物納するか、あるいはこれを他に売却するなどして、損害を回避することも不可能ではなかったと解されること。

(ハ) 経済事情の変動による株価の下落は、前述の如く自然災害による被害とは異なる面があること。

(ニ) 上告人引用の右判例は、「課税の対象とされた金銭債権が後日貸倒れによって回収不能となり、結果的に所得がないのに課税した事案について、国は右貸倒れ額に相応する税額を不当利得として納税者に返還する義務があると認めたものであって、本件のように一旦利益を取得した場合とは事案を異にし、右判決の法理を直ちに本件に適用できないこと」。

原判決挙示の右理由中、まず(イ)に関しては原判決は上場株式の取得と取得時における市場価格で評価した同株式の評価額に相当する現金の入手との質的な相違を無視ないしは看過して両者を不当に同視しており、(イ)と(ロ)の前提としての株価の一般的な変動性および永大産業株の変動性に関する判示との間には論理的な矛盾があるといわざるをえないが、これに関連する問題には次項でまとめて述べる予定であり、また(ハ)および(ロ)に関連する問題についてはすでにおおむね前項で問題点を指摘済であるので、本項では(ロ)につき若干の補足をした後、主として(ニ)について論述することにする。

右(ロ)では、原判決は、相続開始前における永大産業株の変動状況を云々しているが、相続開始後においても相続税評価額を上廻るような株価が維持され、上告人がその気になりさえすれば本件各株式を実際に売却しうるチャンスがいくらでもあったというのであればともかく、そうでない限り右判示はおよそ意味を持ちえないほか、原判決は、上告人の昭和五九年一一月二四日付の準備書面二項における次のような問題指摘にもかかわらず、一審判決をそのまま踏襲しているにすぎないので、この点に関する判示は理由不備のそしりを免れえない。

ⅰ 一般的な株価の変動と本件の如き大巾かつ急激な株価の崩落とは問題性が質的に異なる。

ⅱ 相続税の納付義務は、相続の開始と同時に成立するが、その税額は申告等の手続を待って確定するものであり、それ以前に相続税を納付する義務はない。

ⅲ 他の相続人との遺産分割協議は、上告人一人がいくら努力してもそれだけで成立するもではないうえ、本件の場合には前述のように通常の相続とは異なる複雑かつ困難な事情があった。

ⅳ 物納はそれ「を求めようとする相続税の納期限又は納付すべき日まで」、すなわち相続の開始があったことを知った日の翌日から六ヶ月以内に限って許されているから(相続税法四二条一項、二七条、三三条、相続税基本通達四一-一)、それまでに遺産分割の協議が成立しなかった本件においては、その現実的可能性はなかったばかりではなく、物納は当局の自由裁量に委ねられており、株式の物納は極力認めない方針であることは、原審で本件を担当していた国税局の訟務官も明言していたところであり、株価が下落している時の物納は尚更認められるはずがない(同法四一条三項参照)。

ⅴ 相続税支払のために大量の株式を短期に処分しようとすれば、それ自体が株価の圧迫要因となって、株価の下落は必至である。

ⅵ 本件の場合、相続開始から永大産業の会社更生の申立までには約五年の歳月が経過しているが、この五年という期間は、災害減免法の適用の余地がある相続税の延納期間(五~十五年)と対比しても、全く異とするには足りない。

さて、残された問題は上告人引用の前記判例の妥当範囲ないしは射程距離如何であるが、同判例の事案が金銭債権の貸倒れに関するものであったことは原判決のいうとおりである。

しかし、原判決が同事案では納税者はもともと利益を得ていなかったかの如き口吻を示しているのは、誤解も甚だしいものといわなければならない。すなわち、金銭債権の取得もまた一つの収入であり、所得(利益)であるからこそ、その時に所得税が課されるのであって、問題は、債権額をもって評価されていた同債権が、後に債務者の資力喪失によりその経済的価値を実現しえない状態、すなわち無価値になってしまったことと、少なくとも当時の税法においては、同判決が判示しているような一般条項に頼る以外に他に適切な救済方法がなかったということの二点であり、かつこれに尽きている(関係法令の詳細等は、上告人の昭和五九年八月二二日付準備書面三ないし五項参照)。

そして、右二点においては、本件も右判例の事案も、質的に何ら異なるところがない。というのは、株式の本質に関しては周知のとおり議論があるが、少なくとも大会社の実態認識としては、株式債権説、中でも財団説が最も正鵠を得ていると考えられ(八木弘・株式会社財団論一頁以下および五三頁以下など参照)、金銭債権と株式とでは、前者は通常名目額をもってその評価額とすればよく、評価について格別困難な問題はないのに対し、後者の場合には、常に評価が問題となること以外に課税上区別して考えなければならない点はないし、金銭債権の貸倒れは、いうまでもなく債務者の資力喪失によって起こるが、本件各株式の価値喪失も、債務者に該当すると考えてよい発行会社の資力喪失によって起こったものであり、この点でもまた両者を区別して取り扱う合理的理由はないほか、相続税も一回限りの課税関係で、後日の価値喪失をそれが生じた時における損金等として処理する方法はなく、当初の課税に遡って是正する以外に適切な救済手段がないことも、右判例の事案(雑所得)と同様だからである。

なお、この点は前項の問題とも関係することであるが、右判例においても、貸倒れ発生に至る経緯やその間における債権者の回収努力等は格別問題にされていなことにも注意を要する。

四 申告の無効に関する主張に対する原判決の判断と法令解釈の誤りおよび理由不備

さらに、原判決は、申告の無効に関する主張に対する判断の前提として、上場株式の評価に関する相続税評価基本通達の定めは「不合理とまではいえない」というが(理由四)、そこに一貫して流れている前提認識は、前にも触れたとおり、上場株式の取得はその時の市場価格で評価した同株式の評価額相当の現金の取得と異ならず、両者は同視してよいとの認識であり、同認識はたとえば「支配株であっても換金可能であって相応した取引価格がある以上、同額の財産を取得したものと考えざるを得ない」(傍点は上告人代理人)などの判示に典型的に現れている。

しかし、これは、証券取引所において「市場価格を成立させている取引は通常その規模が数千株から数万株程度のものと考えられ、少なくとも会社支配を喪失し、またはこれを取得するような取引単位によって市場相場が形成されているものでないこと」(関俊彦・株式評価論三三三頁)を忘れてしまった全くの謬見である。

第一、本件永大産業株のように二〇四万株余の株式が右のような取引単位のもとで形成されているのと同じ価格で何時でも一挙に売却できるなどと考えるのは、児戯に等しい考えといわなければならないし、このような考えによっては、たとえば新株発行決議の日の前日の市場価格が一株一四五円であったにもかかわらず、一株七〇円での新株発行を不公正発行ではないとした東京高判昭和四八・七・二七判例時報七一五号一〇〇頁や、類似の事案(一四三〇円の終値に対し、六八〇円で第三者割当)で新株発行の差止を認めなかった大阪地決昭和六二・一一・一九、さらには合併に反対の株主からの株式買取請求に伴う価格決定に当り、市場価格は「投機性を有する株式市場で形成される関係上、株式の実質的な価値とは必ずしも一致しないと考えられ」、本事案では「流通価格のない株式の場合と同様」に類似業種比準方式によるのが最適であるとした東京地決昭和四六・四・一九下級民集二二巻三・四合併号四四六頁(控訴審である東京高決昭和四七・四・一五もこれを支持)などの判例の正当性は到底説明しえない。

また、右のような原判決の見解では、同じ相続財産である不動産が路線価等により時価の二、三割ないし五割で評価され(このため妻と子供二人で五億円の上場株式を相続すると、税率が引き下げられた現在でも一億九五三万円もの相続税が課されるのに、同額の土地を持っている場合には、わずかに二、八三三万円の相続税ですむといわれている。公認会計士・税理士木頭信男「こんな税金払えるか」(カッパ・ホームズ)六八、七〇頁)、事業用および居住用の宅地のうち一定面積以内のものについてはさらに二〇ないし四〇%の評価減が認められていることや(租税特別措置法六九条の三)、ゴルフ会員権の評価も「通常の取引価格の七〇%」と定められていること(相続税個別通達二二)等の合理性やそれとの公平性も説明することができず、「現金や上場株式を土地に換えて、相続税を安くできる」(木頭・前掲書一〇六頁)などという現行税制上の矛盾を公認・助長するのに役立つだけであろう。

さらに、上告人は、相続税基本通達の原則的妥当性を問題にしているわけではなく、その基準があまりにも画一的、硬直的で、一切の例外を認めていないため、本件の如き事例には適切に対処できないこと、国税当局でもその問題に気づいて非上場株式の一評価基準としての類似業種比準方式においては、従来上場株式の場合と同様に前三ヶ月と定められていた比準期間を前一年に拡大・緩和したり(甲第三〇号証)、東京国税局管内に限ってではあるが、右基本通達とは異なる例外的な取り扱いを許容したとみられる個別通達(甲第二三号証の二四四〇頁)が発せられたりしていること、および上告人の再三の照会・相談にもかかわらず、担当者は右個別通達が示唆しているような例外的取り扱いの可能性を全く教示しなかったことなどを主張しているのであるが(上告人の昭和五八年二月八日付準備書面二項、昭和五九年一一月二四日付の準備書面一の(二)ないし(四)項)、原判決がその理由四において述べているのは、結局、基本通達が多くの場合には左程の破綻をきたさないということにすぎず、これでは上告人の言わんとするところを正しく理解して、それに対して適切な判断を示したことにはならない。たとえば、上告人は、実際にあった具体的な例をいくつか挙げて、異常な株価の高騰等は一、二年続くことが多いことを指摘し、基本通達の相続開始前三ヶ月に限定した基準では、このような高騰時に多数の株式を有する経営者等が死去した場合の相続税評価を適正に行なうことができない旨を主張しているのであるが(上告人の昭和五七年六月九日付準備書面)、これに対しても原判決は、明確には答えていない。ただ、原判決が、そうした異常高騰等は三ヶ月以上続くことはないとも、基本通達の下でもその種の問題は適切に解決できるとも言っていないし、またいえるはずもないので、察するところ原判決の見解は、前述の上場株式の取得はその時の市場価格で評価した同株式の評価額に相当する現金と等価であるとの基本認識に則って、市場価格で評価・課税をせざるをえないとする趣旨であると考えるほかはないが、これでは相続人は、延納の申請をして買い占めに対抗し、株価の鎮静化(正常値への復帰)を待っていたらとうてい相続税は支払えないことになるので、否応なしに買い占めグループに屈服するほかはないことになるが、果たしてそれが正当な課税のあり方であり、法の解釈なのであろうか。熟慮を求めたいと思う所以である。

五 連帯納付責任完了の主張に対する原判決の判断と判断の遺脱等

(一) 判断の遺脱もしくは釈明義務の違反

原判決は、上告人が積極的に連帯納付責任額は六億六、二二九万六、四八三円であると主張しているかの如くに判示し(事実第二の六)、その前提での判断しか示していない。

これは、上告人の昭和六〇年五月二一日付準備書面一頁における数額訂正の趣旨を誤解したものであろうが、上告人が同項で訂正しているのは、上告人の昭和五九年八月二二日付準備書面の七項で追加した予備的主張に関する「数額」のみであり、主位的主張まで撤回したわけではない。

すなわち、上告人はまず、「相続税の連帯納付を定めた相続税法三四条一項は、『当該相続又は遺贈に因り受けた利益の価額に相当する金額を限度として』と規定しており、その立法趣旨は、各相続人には固有財産まで吐き出して他の相続人の相続税を納付する責任はないという趣旨であるから(相続により取得した財産の価額から、相続税法一三条所定の債務のほか、当該相続人の相続税額や相続に関する登録免許税まで控除できるのもこの理による)、同条項にいう『利得』とは、当然民法七〇三条所定の不当利得の場合のそれと同様に現存する現実の利益を意味し、その責任は・・・固有財産にはおよばないものと解すべきである」と主張していて(上告人の昭和五八年五月十七日付準備書面四(3)項)、この主張は前記昭和五十九年八月二二日付準備書面七項でも「そのまま維持」しながら、予備的主張を追加した後、被控訴人が昭和六〇年二月五日付の準備書面三項でその数額を争ってきたので、前提事実に関する争点を少しでも減らして、審理を促進するために(同準備書面二項参照)、前記昭和六〇年五月二一日付の準備書面一項で同予備的主張中の「数額」を訂正したものである。

それゆえ、これを看過した原判決には上告人の主張を誤解し、上告人の右主張に対する判断を遺脱した違法がある。

また、かりに右訂正の趣旨が必ずしも明確ではなかったというのであれば、原審裁判所は当然その点を釈明して主張を明確にさせてから判決をすべきであったのであり、原判決には釈明義務違反の違法があるといわなければならない。

(二) 連帯納付義務消滅の要件に関する法令解釈の誤り

次に原判決は、前記予備的主張(連帯納付義務消滅の要件)につき、納付された「各税の源資はいずれも」上告人「自身が提供したものである」ことは認めながら、それが連帯納付義務の履行と認められるためには、連帯納付義務者がその「源資」を「提供」し、「税務担当者がこれを知っていることのみでは足らず、自らの連帯納付義務を履行することを明らかにすることを要する」とし、上告人がそのことを明告したという証拠はないとの理由で、上告人の主張を排斥している。

しかしながら、弁済の効果は、目的の到達によって発生するものであり、弁済には弁済者の弁済の意思は必要でないというのが通説で〔我妻栄・新訂債権総論(民法講義Ⅳ)二一三頁以下など〕、何故に国税の連帯納付義務の履行に限ってこれが必要とされるのか、理解することができない。すなわち、原判決は、その理由を「本来の納税義務者との間で、右提供金につき贈与の意思を有したり、或いは貸借関係が生じていることもありうるから」と説明するが、連帯納付義務の履行をしながら、求償はしないという形で贈与をするということも充分ありうることであって、贈与が成立する場合には連帯納付義務の履行にはなりえないというわけのものではないから、連帯納付義務の履行と贈与もしくは貸借の成否如何とは直接の関係がなく、連帯納付義務消滅の要件としては、連帯納付義務者が自己の本人としての納税義務ではなく、連帯関係にある他の納税者の納税義務を履行したのだということが後日にでも確認できればそれでよいというべきである。

またかりに原判決の前記判示の本意が、弁済により債権が消滅するには、「給付がその債権についてなされることを要する」との趣旨であるとしても、それは「客観的の事情、給付者の意思、法律の規定など、諸般の事情によって決せられる」ものであり、原判決のいう贈与との関係においても、「特に弁済以外の目的に供しようとする意思を表示しない限り」弁済としてなされたものと判断して妨げなく、「債務者が当該債務を弁済しようとする積極的意思を表示すること」は必要でない(我妻・前掲書二一四頁)。

そして、本件においては、原判決も暗に認めているとおり、永大産業の保証による延納許可がなされていたこと等もあって、徴税担当官は上告人が他の相続人分の相続税も納付していることを知悉しており、他の相続人関係の諸通知等も上告人宛に送付されていた位であるから(甲第七三号証の一ないし五、同第七六号証の一および二、乙第三六号証の一および二など)、問題の納付金を上告人が納付していることは徴税官も充分了知していたことはあきらかであり、右の要件に欠けるところは何もない。

これに関連して、原判決は、本件各税の納付が銀行や信用金庫を通じてなされていることをも問題視しているが、右述のとおり本件各税の納付は上告人宛に送られてきた他の相続人分の相続税の納税通知に基づいて払い込まれたものであるほか、従前の経過等に鑑みると、その払込人が上告人であることは自明のことであり、あとは誰の相続税を支払うものであるかが納付書においてあきらかにされておれば足りるといってよい。

さらに、本件のように本来の納税義務者以外の者が租税の納付をしていることを徴税担当者が知っており、しかもちょっとした納付の仕方で法律効果が大きく違ってくる場合には、特段の事情がないかぎり納税(付)者としては当然自己に有利な方法を選ぶのが通常かつ自然であるから、徴税担当官は、何らかの事情で反対の趣旨で行動していることが明白でないかぎり、通常の行動が選択されているものとして処理すべく、少なくとも疑義があるときには意思確認、さらには教示を行なうべきであって、その措置を採らずに、納税者に不利な効果を押しつけることは許されないというべきである。

なお、以上に関しては、国税通則法施行規則が別紙第一号書式として定めている納付書(乙第三五号証)には、「納税者」の「納税地」や「氏名又は名称」を記入する欄はあるが、連帯納付義務を履行しようとする「納付者」の住所氏名等を記入する欄は設けられていないことも忘れられてはならない。

六 右二ないし五項で述べた原判決の違法は、いずれも判決結果に影響をおよぼすことがあきらかな法令の違背であるから、原判決を破棄し、さらに相当な裁判を求める。

(添付書類省略)

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